世田谷の川探検隊

蛇崩川 (じゃくずれ-がわ) 上流編

東急東横線は、中目黒駅近くで大きな川を越える。これが目黒川。
駅のすぐ南でこれに合流しているのが蛇崩川です。
この合流部のわずかな区間で流れを見ることができる以外、蛇崩川は全域が暗渠になっています。

世田谷区内では昭和58年に緑道として公園化されており、中目黒から遡行すると、上目黒、下馬、三軒茶屋、上馬を経て弦巻に至ります。
このあたりに湧いていたいくつかの流れが蛇崩川の源流です。

目黒区内


世田谷区内よりもあとになって整備されたのか、比較的新しい感じのする緑道です。

さらに下流は→目黒区内の蛇崩川

沿道のサクラ


世田谷区内に入るとまず見事なサクラに目をうばわれます。
これらは区画整理事業の際に植樹されたもの。川が地上を流れていた時代を偲ばせます。
花の季節にあらためて来てみたいですね。


こちらはちょっと季節が過ぎてしまったアジサイ。

駒繋神社


蛇崩川の下流部分でもっとも特徴的な地形を持つエリア。江戸時代の地図を見てもほとんど同じ地形が記されています。
蛇のように曲がりくねって流れるようすから川の名前がついたといわれていますが、まさにこのあたりを見ての命名ではないでしょうか。

駒繋公園


この公園は、かつては駒繋神社の境内だったのだそうです。
起伏に富んだかなり広い敷地を蛇崩川が回り込むように流れています。 片隅に井戸がありました。

国道246号線と交差(南側)


246号線を背にしてお稲荷さまが祀られていました。社殿の左奥に見えるのが首都高速の高架です。
もちろん古くはこの旧道が村道だったのでしょう。


村道に面していた本来の参道はブロック塀でふさがれて駐輪場に。
左に幟旗が見えますが、そちらに新しい参道が作られています。


お稲荷さまの脇を入っていくとビルの谷間が小さな緑地になっていました。
階段を上ると国道246号線です。

国道246号線と交差(北側)


世田谷郵便局の東側で蛇崩川が246号の下をくぐります。
このあたりは、最近美しく再整備されましたが、もう少し遡ると古めかしい緑道になります。

古めかしい緑道


世田谷区内各地の主な緑道は、昭和50年代末に整備されました。
小さな改装は随時行われていますが、ほぼ同じ姿のままの区間はいたるところにあります。
20年も経つと、もう人工という感じはかなり薄れますね。

水道道路


三軒茶屋から弦巻に向けて細く長くのびる直線道路。
大正11年に作られた渋谷町水道のルートです。

駒留陸橋


蛇崩川が環状7号線と交差するところです。弦巻通りと並行しながら更に上流に向かいましょう。


いい感じに寂れた遊歩道が続きます。

小泉公園


弦巻通りに面した大きな公園です。
蛇崩川の水源になっているいくつかの支流がこの近くで合流します。
この公園の地下に、大雨による水害に備えた雨水調整池が造られています。

藤棚


駒沢中学校付近からは、弦巻通りと隣接して緑道が作られています。
ゆったりした歩道には藤棚が作られています。
弦巻通りは比較的新しい道路ですから、本来の川筋は別の場所にあった可能性もあります。

蛇崩川のもうひとつの源泉

小泉公園のやや上流側に、向天神橋という交差点があります。このやや南の地点で、駒沢緑泉公園(駒沢3丁目)あたりを源泉とする、南から流れてきたもうひとつの川が合流しています。
また、もう少し上流側の弦巻中学校付近でも南西(新町3丁目先)から流れてきた川が合流しているようです。
この一帯の複数の湧水が蛇崩川の源泉といえるでしょう。

蛇崩川の支流たちのページ

“鉄のオブジェ通り”


弦巻通りを遡ると、北から来た流れにそって小さな遊歩道が作られています。
ここにはパイプ状の鉄のオブジェが並びます。
それにしても、なぜ蛇崩川に鉄のオブジェなのかはよくわかりません。


車道のガードレールまでこの調子なんですが、これ、かえって危ないような気がします。

八幡橋(やはたばし)


東急バス、弦巻営業所の入り口脇に残る「八幡橋(やはたばし)」のあと。
欄干の外側には水道管の遺構もありました。

不思議なことに、蛇崩川には橋の遺構があまり残っていません。
そんな中で、かつての姿そのままで残されている八幡橋には、却って心が安らぎます。

ところが、この欄干は撤去されてしまいました。

いわゆるひとつの上流端


大山街道と交差する場所にある公園(弦巻5丁目)
はっきりした川跡はここまで辿れます。

大山街道旅人三態

来る日も来る日もこの公園に座り続けているのが大山街道旅人像。
季節によってかなり違った表情を見せてくれます。(オンマウスで拡大)


冬の旅人

夜の旅人(写ルンです風)
夏の旅人    

品川用水弦巻村分水 (しながわ-ようすい つるまきむら-ぶんすい)

実際に現地を歩いてみると、蛇崩川上流端付近よりさらに上流、馬事公苑方向から来ている水路が見つかります。
しかし近代以降の古い地図を見ても、蛇崩川と品川用水はつながっていません。

これは、品川用水から世田谷領内で分水されていた4つの水路のうちのひとつ 弦巻村分水の跡。
4つはいずれも 1669(寛文9)年につくられましたが、下流の村からの訴えによりわずか20年後に閉鎖されました。
その後もわずかな水が流れ続け、現在に至るまで残っています。
品川用水そのものがなくなってしまった後も排水路として転用されるなどして、こうして水路跡が残っているのだと思われます。


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