世田谷の川探検隊

北沢川 (きたざわ-がわ)

玉川上水から分水され、世田谷区内を北西から南東に流れる大きな川。 池尻で目黒川に姿を変える。 赤堤から池尻まで4.2キロの区間は緑道として整備されている。四季折々の花が楽しめるが、北沢から池尻までの沿道に植えられたサクラは絶品。

北沢川 と 北沢用水

もともとの北沢川は、松沢病院周辺のいくつかの水源からなる水量の少ない川でした。
万治元(1658)年、玉川上水からの分水が幕府に認められ、人工の水路が作られました。
その結果、水量の増えた北沢川は流域一帯に生活用水・農業用水を供給する北沢用水(上北沢用水)として機能するようになりました。

上水からの分水地点は2度にわたって移動されました。

第一期
万治元(1658)年 上北沢村

正確な分水点については三説あり。
現存する桜上水支流は自然の谷ですが、その近くに分水路の痕跡が残っています。
第二期
天明8(1788)年 上高井戸村


甲州街道中之橋交差点西。水路跡は断続的に現存しています。

第三期
明治4(1871)年4月 久我山村


近代に入って岩崎橋のやや下流に移設されました。
現存している樋口の遺構には大正四年の銘が刻まれています。

昭和6年に東京都水道局が行った調査では、北沢分水は松澤・世田谷地区の26.4町への撒水・排水用と記録されており、流路には精穀用の水車が2つあったことも記録されています。

北沢分水の水末


北沢分水は、松沢病院付近で北沢川の上流端に接続します。

都立松沢病院


北沢川は、もともとはこの一帯の涌き水を集めた自然の川だったといわれています。
この地に松沢病院が建ったのは大正11年のこと。巣鴨から移転してきました。
敷地内にある将軍池も水源のひとつです。
第二期以降の北沢分水は、この病院敷地の北方で北沢川に接続しています。


→小さいながらも味のある、北沢川の支流たちをまとめました。

赤堤

謎の石柱 その1


この地域の、かつて橋があった場所の近くにはこのような石柱がたくさん見つかります。
いずれも同じ大きさですが、ただ転がっているもの、縁石の一部に組み込まれているものなどさまざまです。

ユリの木公園


このあたりは「ユリの木公園」として整備されています。
幅の広い道路が両側を並行し、地方の城下町のような美しい佇まいの緑道が続きます。
明治時代の地図を見ると、このあたりには細く蛇行する川が描かれています。
現在のような直線の川筋は区画整理の結果でしょう。


この写真を撮影したとき、ユリの木公園ではフジテレビがドラマの撮影中。
いつものようにシャッターを切ったら、脇から若い男が走ってきてえらい剣幕で怒っている。
「写真撮らないでください! 事務所の許可が出てませんから!」
「事務所ぉ?」
これがそのときの写真なんですが、よく見たら中央奥に中井貴一さんが写り込んでました。

赤堤1丁目・東急世田谷線山下駅

東急世田谷線山下駅〜小田急豪徳寺駅付近


細く、道路から少し離れたところを緑道が走るあたりは、かつての生活用水の流れを彷彿とさせます。


細い道と並行する緑道、いずれも歩行者専用。
小粋な飲食店が並びます。

水車池田米店


“水車”を屋号に冠した緑道沿いのお米屋さん。
かつて精米などに水車をお使いだったのでしょう。
伺ってお話などを聞いてみたいのですが、なんせ営業時間中に行けたためしがない。

総合福祉会館


このあたりは病院や厚生施設の多い地域です。
とりわけ緑道が施設と一体にデザインされ、生活道路として機能している好例がここ。


桜の季節は特に見事です。

小田急線梅ヶ丘駅前


幅の広い緑道。
川だった部分が一段低くなっています。


かつて道路だった部分と川だった部分が今でもそれらしく残されていて、生活道路としてはかなり美しい区間です。
かつて川岸だったあたりにサクラの巨木が点在しているのもポイント。


駅前通りと川跡が交差する場所が光明橋広場。


駅から遠ざかるにつれて、また細い緑の道が現れます。

小田急線との交差


梅が丘駅の東側。
細く、孤立した緑道は、小田急線の線路でぶっつりと切断されています。
小田急線が開通したのが昭和6年のこと。世田谷区によって緑道が整備されるはるか以前のことですから、これは致し方ないでしょう。
それにしても、意外と綺麗に保たれてるのが不思議というか、立派です。

小田急線との交差・リニューアル


線路が高架化され、その下に遊歩道が作られました。


地表に川はないのに、河川占用許可証。

小田急線梅ヶ丘駅〜環七


2009年4月。新たな整備が始まりました。
完成したてで、まだ初々しさの残る遊歩道。


下流は、かつて整備された舗道が宮前橋まで一直線に続いています。


花壇にはよく手入れされた花が咲いていますが、レンガ造りのように見える花壇はよく見ると貧相なプラスチック製。まわりの住宅のようすもちょっとさびしい感じ。

謎の石柱 その2


赤堤地区にあったものと同じような、謎の石柱がここにも残されています。

宮前橋・寺前橋


北沢川が環七と交差するところにあった橋が宮前橋です。
その名前は近くの交差点に残されていますが、このように欄干を見ることができます。
上は西側の欄干。


これが東側。
宮前橋の名前は近くにある代田八幡神社に由来します。

ここから下流は見事な桜並木が続きます。この桜は、大正から戦前にかけて行われた区画整理の際に植樹されたものだそうで、太い幹を眺めるだけでも壮観です。


近くにひっそり残るのが寺前橋。この橋を渡って坂を登っていくと円乗院という寺に至ります。


2007年春、寺前橋の欄干は撤去されてしまいました。

環七〜茶沢通り区間


昭和46(1971)年、まだ水の流れを見ることができたころの北沢川(写真出典「ふるさと世田谷を語る」:世田谷区)


ほぼ同じ場所を平成11(1999)年3月に撮影したもの。


さらに平成18(2006)年9月の撮影。

戦前の区画整理事業では、区内の広大な農地を宅地化する工事があちこちで行われましたが、この界隈は地形が一部そのまま残されているようです。


道路と川筋には高い段差があり、静かな渓谷の面影を残しています。

せせらぎ復活


橋場橋以西にもせせらぎ公園が拡張され、このあたりにもせせらぎが整備されました。

橋場橋


茶沢通りの西側に残っていた巨大な親柱。
銘板が取り去られ、ひさしく名なしの状態になっていました。


現在は撤去され新たな欄干が作られました。


橋場橋から上流方面を見たところ。できたばかりのせせらぎがまだ少し不自然です。


このあたりは桜も見事です。

代沢せせらぎ公園


復元された橋の欄干に人工の小川。


浄化処理された水が流れています。
せせらぎ復活事業による改装工事が行われ、美しく変貌しました。


この公園でも桜がすばらしい。
花の季節にはたくさんの人が集まりますが、自転車や徒歩で沿道を行くだけでも見事な花が楽しめます。

下代田橋・大石橋


淡島通りを越えたところに残る、小さな橋ふたつ。


大正五年と刻まれた、ふるい親柱が残されていました。

三宿


散策するおとなたち、ザリガニ釣りをする子どもたち。


はじめはちょっと不自然さもあった人工のせせらぎですが、最近ではすっかりなじんできた感じです。


この鯉も釣れるかな(笑)


花の季節は幻想的な空間が広がります。

烏山川と合流


ほぼ並行して流れてきた烏山川と合流。目黒川と名前が変わります。
このあたりは長期間単なる暗渠のままになっていましたが、整備され最新の緑道として生まれ変わっています。

烏山川と並ぶ「2大緑道」ともいえる北沢川緑道。
ここはもうとにかく桜が見事。
池尻に住んでいた頃は、よく一人で深夜の花見散歩に出かけたものでした。

その数年後、北沢川が環七と交差するあたりを歩いていたら
「このサクラはどこまで続いてるの?」
と、自転車に乗ったご婦人に尋ねられました。
「あんまりサクラが綺麗だったから、ついつい目黒からここまで来ちゃった」
とのこと。

北沢川のサクラは強い魔力を持っているに違いありません。
現在のように親水公園として生まれ変った今も、きっとそのパワーを保ちつづけているはず。

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