世田谷の川探検隊

渋谷町水道(しぶやまち-すいどう)

大正13(1924)年に完成した、東京市渋谷町が敷設した独自の近代水道。
現在では東京都の水道に組み込まれ、災害発生時のバックアップなどとして稼働中。

本来の川ではないのですが、建造年代が古く、特徴的な建物も数多く残っているので探検してみる価値は充分あります。

駒沢給水所

渋谷町水道のシンボル的存在。
その威容によって、独特の存在感が印象的な施設です。
現在は無人化されていて、通常は中に入ることもできません。

第一配水塔


約30メートルの高さ。その存在感には圧倒されます。


“清冽(せいれつ)鑑(かがみ)の如し”

第二配水塔


“滾々(こんこん)として盡(つき)ず”

第一ポンプ室


ここ数年だけで、建物の表面にツタが侵攻してきました。損傷が気になります。

渋谷町営水道布設記念碑


第一配水塔のそばに建つ記念碑。でっかいです。


敷地内にはふたつの池があり、魚が飼われていました。
その魚を観察することで、水道水の異状を検知したのだとか。

幻の第三配水塔


当初、配水塔は3基建造される予定でしたが、実際に完成したのは2基。
確保されていた3基目の用地は今も使われずに残っています。


上の画像に3基目を描き込んでみました。
現在の水道管の埋設位置(白線で図示)も3基目を想定していることがわかります。
所内の各設備も実に合理的に配置されています。


もしこれが3つあったら‥‥ さらにすごい存在感でしょうね。

この給水所が起工されたのは大正10(1921)年。そして竣工は大正13(1924)年。
大正12年9月に関東大震災が起こっていることを考えると、3基目が建造されなかった理由も容易に想像できます。

ベンチュリーメーター


送水量を測定する装置が置かれていた建屋。ここにも凝った装飾が施されています。

塀の外から


通常は、給水所内に入ることはできません。
周囲から覗き見るだけ。


それでもかなりの威容を感じることはできます。

水道道路

三軒茶屋

駒沢給水所から三軒茶屋まで、細いながらも一直線の道路が続きます。
ちょうどキャロットタワーをまっすぐ目指す角度になっているため、タワーから見ると簡単に見分けがつきます。


三軒茶屋キャロットタワーから見た水道道路。


延長線上のやや左に駒沢配水塔を見ることができます。

桜新町


このあたりは品川用水も通っていた道です。


桜神宮から東北方向に続く直線の道。前方に配水塔が見えてきました。

大山道 追分


かつて江戸から大山に詣でる人々で賑わった道を横断します。

“水道みち”


用賀3丁目14先に立てられた「水道みち」の標柱。
一見そうは見えませんが、ここが水道道路です。

岡本隧道


岡本民家園内に残る、トンネルの入り口。
水道が静嘉堂文庫のある尾根をくぐります。


こちらは出口。トンネルの直後に谷戸川を横断します。

岡本民家園


江戸時代中期に建てられたという古民家を移築・再現したもの。のどかな武蔵野の空間が残されています。
正式名は世田谷区立岡本公園民家園。入場無料。


鎌田前耕地緑道


平成15(2003)年に整備された、野川水道橋と岡本民家園を結ぶ約300メートルの緑道。

野川水道橋


野川と交差していた小さな鉄橋。
架け替えのため、平成16(2006)年12月に撤去されました。

砧下浄水場


多摩川の伏流水を取水し、緩速濾過方式により1日7000立方メートルの処理能力を有します。


多摩川沿いにある取水点。この近くの川底から伏流水を汲み上げています。


敷地内には懐かしい感じの建物が並んでいます。

 

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