世田谷の川探検隊

谷沢川 (やざわ-がわ)

「23区内、しかも世田谷にある渓谷」という意外性で有名な“等々力渓谷”。その上流にあたるのが、この谷沢川。
しかしかつての谷沢川は等々力渓谷ではなく、そのやや東にある九品仏川に通じていたと考えられています。
その痕跡が、等々力渓谷近くに残された逆川の川跡。

谷沢川の流路がなぜ九品仏川から等々力渓谷に切り替わったかについては、人工の開削であるとする説と、自然現象(河川争奪)説の二説に分かれています。ただし両説ともに決定的な証拠が出ていません。


意外なところに残る谷沢川のルーツをはじめ、意外な支流をかいつまんで。

上用賀6丁目


6丁目30にある公園。鈴木理生さんの著書ではこのあたりに湧いていた水が谷沢川の水源とされています。


谷頭のようなかたちが残るちいさな一角。
ここが湧水点だった確証はありませんが、かなりそれらしさのただよう地形です。

さらに上流は、
東京農大の近くから流れてくる→品川用水用賀村分水A


そのすぐそばから暗渠が残っています。幅があり、大きくてラフなものです。
「危なそうで怖いからこの上は歩かないことにしています」
近くに住んでいる方に伺ったら、そう話してくれました。


直線と直角。谷沢川の上流部はすべてこのような暗渠です。
これは、この一帯が区画整理された際に格子状の道路に沿うように流路を付け替えられたためです。

環八とニアミス


整理された区画の一角に環状八号線が造られました。
谷沢川が環八に少しだけ接触するところ。
左の写真で奥に見えるのは砧公園の木々。

用賀中学周辺


非常に大きなコンクリート蓋をもつ暗渠です。


橋もほぼそのままの姿で残っています。
第六天橋。 昭和44年に架けられたもの。


数年前まであった井戸。

上用賀5丁目


北東方向から流れてきた小さな支流が合流しています。

美術館通り


世田谷美術館へ向かう道沿いに再現されているせせらぎ。


橋は墓碑銘のように名前だけ残されていました。


このあたりの舗道には、ところどころに百人一首の和歌が刻まれています。

用賀駅〜世田谷ビジネススクエア

この付近では川は完全に姿を消しています。
地下には東急田園都市線が通っていますし、小さいながらも地下街まであります。川はどこをどう流れているのでしょうか。


世田谷ビジネススクエアヒルズの一角。
かつてはここに流路のひとつがあったはずなのですが、痕跡はまったく残っていません。

南橋


首都高速(3号渋谷線)の高架下に、まるごと原形をとどめた橋の欄干が残っています。

ここから下流はしばらくこの高架下を流れていきます。
というより、川の上の空間を利用して首都高速が造られたわけですね。
500メートルほどの区間を谷沢川と首都高速が併走しています。

田中橋


この橋の上を通っているのが、江戸の町から大山阿夫利神社まで続く大山街道。
かつては玉川電鉄(玉電)がこの橋を渡っていましたし、現在はこの地下を東急田園都市線が走っています。
そしてこの橋の下流から水の流れが姿を見せます。


東急のマーク入りのマンホール。

田んぼの中にあったのがこの橋の名前の由来、というのが通説なのですが‥‥
同じ大山街道沿い、三軒茶屋にあった茶店のうちの一軒が田中屋であったのは単なる偶然でしょうか?

高架下の開渠


高速道の下をゆうゆうと流れていく谷沢川。
ただしここを流れているのは高度処理水。仙川と東名高速が交差する付近にある処理施設から、ここまで導かれてきています。

三角橋


高架下に、古い姿で残っている橋。


ここで高速道とは離れていきます。
谷沢川は、このあたりから下流で徐々に本来の姿を見せはじめます。

玉川通り付近


玉川通りに面した部分でもう一度暗渠に。


少し離れて見るとこんな感じです。


玉川通りの南側。

桜の川


世田谷百景にも選ばれた見事な河岸のサクラです。

富士見橋


欄干に富士山が。

本当にここから富士が見えたのかを検証しようともしましたが、このあたりの流路はコンクリート3面張りで流路は直線的。近代に付け替えられた可能性が高そうです。現状だけ見て検証してもあまり意味がなさそうです。

姫之橋


この橋の少し上流に、姫の滝(野良田の滝)の跡が残っています。
かつては、伝説を秘めた美しい滝だったそうですが、昭和十三(1938)年の大雨による増水で崩壊。


下流にあるのは、流路を利用した沈殿池。
下流の等々力渓谷の水質浄化の目的で造られたものだそうです。

中町


中町2丁目。橋らしくない橋(無名)の下をくぐります。


下を覗いたらこんな感じでした。


中町1丁目。住宅地の中をゆるく蛇行しながら流れています。
コンクリート護岸化されてはいますが、すこし渓谷の趣が漂ってきました。

権蔵橋


明治時代に、野毛から玉川小学校への通う子どもたちのためにかけられた橋。
現在のものは昭和期の区画整理事業で新たな場所に架け替えられたもの。


このあたりでは東急大井町線と谷沢川が併走しています。


権蔵橋から上流方向を見たところ。


下流方向を見たところ。

等々力渓谷

中町1丁目先あたりから、自然の面影を残した渓谷が現れます。

ゴルフ橋


ここだけ見たら、どこなのか悩みそうな風景。
それにしてもなぜゴルフ橋っていうんだろう‥‥?

「ゴルフ橋」の呼び名は、現在の橋(二イ式アーチ鋼橋、昭和36年5月竣工)が架設されてからのもの。かつてあった東急ゴルフ場の入り口にあたることから命名された。等々力渓谷の風致保存活動は、35年ごろから高まりを見せ、矢沢川も数回にわたる浄化装置の改良によって、今見るような清流をたたえるようになった。

  〜世田谷区立郷土資料館「記憶の中の風景 −写真で見る世田谷の昭和30年代と今−」


この日は連休だったこともあってか多くの人が訪れていました。外国人の観光客も多数見かけました。


周辺には、古刹や古墳などの観光ポイントがかなりあります。
湧水もあちこちで出ています。


上が黒く切れているのはカメラの故障ではなくて、ここに高架があるから。
なんと環状8号線がこの上を通っているのです。


ほらね。


上から見下ろしてみました。

等々力不動尊・不動の滝


役の行者が打たれたという由緒ある滝です。

野毛大塚古墳


この近くに出土し、公園として整備されているのが野毛大塚古墳。
帆立貝式の前方後円墳で、5世紀前半に築造されたものとされています。

渓谷の終わり


徐々に住宅が増えてくると渓谷は終わりです。

「鈴木さんちはどの橋?‥‥」


民家一軒ごとに専用の橋が架かっています。

このあと、さらに南に進んで丸子川(旧六郷用水)と交差したあと、多摩川に合流します。

上流域と下流域でまったく異なる景観をもつ谷沢川。
流域ごとにそれぞれ違った楽しみ方をすることができます。

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