世田谷の川探検隊

谷戸川 (やと-がわ)

岡本の南東端で丸子川に合流している小さな川。
その上流は、砧の北端を経て千歳台までさかのぼることができます。
一部分暗渠になっていますが大部分は開渠。水量も比較的多い。

丸子川との合流点


岡本静嘉堂緑地の南東で、東西に流れる丸子川に北から合流する谷戸川。ここから遡るかたちで紹介します。

この写真で(手前が切れてますが)左右に流れているのが丸子川、奥から流れてきているのが谷戸川です。

谷戸川はここから北西方向にさかのぼり、上流は砧公園を貫いて流れています。
これを丸子川と記している地図が少なくありませんが、これは明らかな間違いです。
単純にどっちが本流か間違えたのか、それとも丸子川が元・六郷用水とか次太夫堀などと呼ばれていることから混同したのか‥‥。


丸子川。もともとは六郷用水として徳川時代に作られたもの。
このあたりには水鳥や鯉などがたくさんいます。

静嘉堂文庫


岩崎彌之助・小彌太父子の収集した和漢の古典籍、古美術品などを収蔵しています。
現在は美術館が併設されています。

やのはし (八之橋)


ここから上流は数字を冠した名前の橋が続きます。

“カウントダウン”


左:七之橋、右:六之橋。
それぞれに意匠の異なり、味のある橋が続きます。 六之橋はガードレール装備。


深く刻まれた、水量豊富な川です。


モダンな五之橋。


四之橋は太鼓橋。


ちょっと古そうな三之橋。奥に見えているのは四之橋。


欄干が美しい二之橋。


二之橋から下流を眺めたところ。
見えているのは三之橋と四之橋。短い区間に橋が並んでいます。

庚申橋


一之橋と二之橋の間に作られているのが庚申橋。

いちのはし (一之橋)


たどり着いたところは砧公園の南辺。
園内から流れ出るところにかかっているのが一之橋です。

砧公園内


砧公園の園内を流れる谷戸川。木立ちの向こうには東名高速道が走っています。

見えない貯水池


園内には、雨水を蓄える地下貯水池があるのだそうです。
名づけて「見えない貯水池」。 四角く区切られたエリアがその地上部分。


園内。いくつかの橋が架かっています。


水量は多く、写真で見るといい感じにも見えますが、実はあまりきれいではありません。

“砧渓谷”


もちろんそういう名前はついていないんですが、ここだけ見たらいったいどこなのか分からないような風景が広がります。


小さいながらも本格的なつり橋まであるんです。


つり橋の少し上流の地中から水が湧き出しています。もちろん湧水ではなくて人工のもの。
これより上流では、水は地下を流れています。

つり橋の下を流れているのは、実はダミー。
谷戸川の本流は巧妙に別のところを流れています。
周囲をよく探してみよう。


わずかに見ることのできる、本流路の開口部。

砧公園北端


川はここでいったん公園の地下に入ります。架かっている橋は稲荷橋

大蔵1丁目


世田谷通りの旧道沿い。ここで90度向きを変えます。

砧1丁目


2000年4月の撮影。なにを祀ったものか川べりに小さな石碑が建っていました。


2003年10月の撮影。石碑がなくなってしまった!
この小さな橋には目立たない場所に銘板がはめこまれていました。よこねはし
ここで再び流路の向きが90度変わります。


上流側から見た横根橋。


こちらの側面には漢字で書かれた銘板が残っています。


この周辺は暗渠になっています。幅がとても広い!


再び開渠になった上流を辿ります。
ただし川沿いを通行することはできないのでしばし迂回します。


世田谷通りをくぐります。

支流が合流


砧1丁目。左岸から支流が合流します。見てみる

徐々に細く


砧4丁目付近、かな。
「洪水になるから物を捨てるな」という内容の掲示が出ていました。

区画整理記念碑


近くの公園内にある区画整理記念碑。


同じ事業を記念した石碑が各地に残っています。

砧6丁目


ここにかかっている橋は「谷川橋(やがわばし)」
かつては谷川谷戸川がつながっていた、という事実を思い出させます。


この橋のたもとで西から合流する支流があります。 見てみる


わずかに蛇行しながら流れが続きます。

開渠な上流端


山野小学校脇に出ます。大きな道路は城山通り。


ここより川の姿が残っているのはここまでです。

千歳台1丁目・祖師谷1丁目境界


城山通りと小田急の線路の北側。
暗渠になった流れが見つかります。

果たして水源は?


東方向と北西方向。ふたつの流れがここで合流していたようです。


北西方向からのルートは住宅地の中で姿を消しています。


東から一直線に続く暗渠。

水道道路


荒玉水道道路を越えてさらに続きます。

笠森公園


「笠森」はもともとは「瘡守」のこと。
伝染病の神をまつった同名の稲荷社が全国各地に残っていますが、この周辺には祠は残っていません。
公園の片隅に、谷戸川について記した標示板が立てられています。


公園の近辺、現在残っている川跡とは微妙に流路が違っています。
宅地化された際に流路が付け替えられているとは思うのですが、この標示板にはかなり疑問を感じます。
とくに上流部で水道道路に沿って北上しているように描かれているのには呆れます。
近くに作られている井戸からは(飲めないのですが)ちゃんと水が出ます。

環八を超えて


環状8号線を超える川跡。正確には川をまたいで環八が造られたのですが‥‥

水路の部分で道路が低くなっているのがわかるでしょうか。
大きな自動車道を造る際には土地の起伏が平坦にされるものですが、それでもわずかな高低差が残ります。

桜丘5丁目


環状8号線の東側に残る閉ざされ空間。
流路は、品川用水跡をも超えて北に続きます。

さらに上流へ


やや細くなって北に続きます。

船橋2丁目


目立たない農地裏から、道路沿いに出現する川跡。

希望が丘へ


環八沿いに建設中のマンション。この現場の脇が水路跡です。


マンション完成後。水路はきれいに整備されて残されました。でも車止めで閉ざされた空間です。
希望が丘歩道橋付近で再び環八を超えて千歳台3丁目に続きます。
昭和50年代までは開渠が残っていたようですが、ここから先はその痕跡らしきものは残っていません。


成城警察署。
ふるい地図ではこの敷地の真ん中に川が描かれています。

一部の地図に丸子川と誤記されたり、流域で整備が進められている下水道の名称が谷川雨水幹線だったり。
もしかしたら谷戸川は、その流路よりも先に名前のほうが消滅してしまうのではないでしょうか。

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