世田谷の川探検隊

三田用水跡 (みた-ようすい-あと)

笹塚付近で玉川上水から分水された三田上水は、江戸六上水のひとつ。
江戸城下南西部への給水道でした。
上水の役割を終えた以降は、三田用水として農業などに活用されていました。

鑓ヶ崎


この交差点の上空を、三田用水は金属製の懸け樋で横断していました。


中目黒に向かってゆるやかに下っていく駒沢通りは別名 新道坂
地形の変遷を考えると懸け樋で道路を越えたというよりは、道路が水路をくぐる、そのための懸け樋と表現したほうが的確かもしれません。

正確にはここには新旧2本の「新道坂」が存在しています。
片方を「新新道坂」とでも呼ぶべきか。またはもう一方を「旧新道坂」とでも呼ぶべきか。

目黒新富士


目黒川の谷へ下りてゆく別所坂の頂上付近。
古地図で見ると用水はこのあたりを流れていたことになります。


これで水路を支えていたのか、大谷石の土留めとコンクリートの柱。

大谷石というのは凝灰岩で、水が浸みやすい。
これを水路遺構と考えるのはちょっと違う気がします。
ただし場所はほぼここで間違いないはず。

茶屋坂隧道


平成15年まで残っていた、水路をくぐるトンネルです。
車で通ると橋みたいに見えましたが、昭和5年に切り通しが造られた際に水路の部分だけを残したもの。


すっかりきれいに撤去されてしまいました。


左:2001年 右:2009年  痕跡はまったくありませんが、近くにプレートが残されています。

港区・白金


港区白金は丘陵と谷の町。


ここに残る水路跡は緩やかに弧を描いて深い谷を迂回しています。


白金台3丁目に残る石橋の欄干。


奥の白い建物は細長く、水路跡の上に建っています。


その続きには明らかに水路を埋めた跡と思しきコンクリート蓋が。

谷を渡る水路


迂回しきれなかった谷を用水が越えるために築かれた導堤のあと。
水路の断面が保存されています。


谷が終わる部分には、地蔵尊が祀られていました。

分水なのか、余水吐なのか、この谷(篠ノ谷)の底を流れていた小流が雉子神社(現在の東五反田)方面に続いています。


道路が水路を跨いでいた部分。地面が少し盛り上がっています。


ここもそう。
橋の跡地で地面が盛り上がっているのは珍しくありませんが、遠くの土地がゆるやかに低くなっています。
小さいながらも尾根筋の上。

雉子神社


ちょっと寄り道。桜田通り沿いに立つビル内神社。


その近くの谷底に、三田用水が築堤で跨いだ篠ノ谷の流れが続いています。

水末


古地図に記録された三田用水の水末。
実際にはここに至る前にもいくつかに分流され、ここから先にも水路があり、各地で利用されていたようです。

起伏の多い土地ですが、用水跡だけは常に水平。
ただし水が流れているわけではありませんから妙に疲れる。いつもと違うセンサーを使う追跡でした。

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