烏山川 (からすやま-がわ)
烏山川は、烏山の高源院などを本来の水源とする自然の川でしたが、徳川時代 上流に玉川上水からの分水を加え、烏山用水として流域を潤しました。
三宿で北沢川と合流し目黒川となります。
希望ヶ丘団地から下流の約6.7キロは烏山川緑道として整備されていますが、その流域全体を見るとエリアごとにバラエティに富んだ風貌を持っていることがわかります。
芦花公園前交差点
世田谷区によって公園化された“烏山川緑道”のスタート地点。
水車なんかも配置してあってなかなか美しい。区営の温水プールも近くにあって健康な空気が漂います。
ここにひっそり残っている親柱は道草橋。
八幡山遺跡と親水公園
希望が丘団地のやや北側は、親水公園になっています。 通称・ジャブジャブ公園は、夏になると毎日子どもたちで大賑わい。
ここに流れているのは水道水だそうです。
近くに建つ八幡山遺跡の記念碑。(読む)
その少し下流に残る古い石の欄干。葭根橋と刻まれています。
現在は移動されて、ベンチとして(?)使われています。
希望が丘団地
団地の中央を緑道が通ります。
大きな道路との交差点では川だった時代そのままに道路の下をくぐっています。
弁天池
森繁久弥邸付近の緑道。
かつてこの近くに弁財天を祀った池がありました。その水は烏山川とつながっていたのかもしれません。
在りし日の弁天池。
現在はすでに埋め立てられ、森繁邸もマンションに生まれ変わってしまいました。
石仏公園と小田急高架
この近くで育った義父が子どものころは、ここらで泳ぐことができたそうです。
この公園の南側で、小田急線の線路が烏山川と交差します。
「石仏公園という公園には、石仏があるはずだと探し回ったが、一体も見つからず、区役所公園課に問い合わせたら
『昔、区画整理をした時、石仏様が出られたのでその名をつけたのだが、その石仏様がどこへ行かれたのかわかりません。 今から思うと残念ですねェ。』と言われた。(中略)
しばしば洪水が起こったり、水難者が出たので供養の石仏が祀ってあったものらしい。
〜地元の小学校の文集から、
でも、いなくなったはずの石仏様がひっそりと祀られていました。
近くに踏切はありませんので、線路の向こう側に続く緑道へ行くには、大きく迂回しなくてはなりません。
現在このあたりは複々線化のための工事が進行中で、やがて線路は高架の上に移動することになっています。
高架工事の変遷
暗渠でも河川占用許可が必要なんですね。 川をまたぐ部分だけ橋脚の間隔が広く、他とは異なった構造で作られています。
下り線の高架だけ完成した頃の写真。
写真には写っていませんが「占用許可証」は今も同じ場所に掲示されています。
秋から冬の遊歩道
小田急線の南側から宮坂まで。 とりたてて見るものもないのですが、なんとなく好きな区間。
城山通りに沿って
このあたりの烏山川緑道は春にはサクラが見事。花見客もそんなに多くないぞ。
左は経堂大橋公園。近くの交差点は「経堂大橋」(写真右)。もちろん橋は残っていません。
鴎友学園付近
昭和33年には台風(22号)で川が氾濫し、この一帯では床上まで水に浸かる被害が出たそうです。
万葉の小径
鴎友学園脇の一角は、「万葉の小径」と命名されています。
万葉集に現れる(らしき)草木がいくつか植えられています。
江ノ電からの里帰り
東急世田谷線・宮の坂駅には、世田谷線の古い車輌が展示されています。
これは江ノ電に譲渡され、その後里帰りしてきたもの。
また、2001年5月現在、世田谷線の各駅ではホームの改装工事が進行中。
ちなみにこの駅は「宮の坂」、付近の地番は「宮坂」
城下橋
区役所近く。「城下橋」の親柱が残っています。が、これは公園化された際に復元されたもの。
杉大門橋〜環七(松蔭神社付近)
住宅地の中を抜けるこぎれいな舗道になっています。ところどころに植えられた潅木が美しい花をつけています。
また近隣の人たちが手入れをしている花壇も見事。
環七〜茶沢通り(太子堂)
キャロットタワーから見た烏山川緑道。中央白いビルの左側。
道路と並行している緑道は、遠くから見ると川そのものです。
左側に太く見えるのは東急世田谷線の線路。
環七に面した緑道沿いに立つ若林橋のモニュメント。
この直線コースからは三軒茶屋のランドマーク、キャロットタワーが見えます。
水車橋 と 西山橋。
ほかにも橋ごとにこうしたモニュメントが立っています。
太子堂小学校の付近。
茶沢通りと交差する付近のスロープ。
茶沢通り〜三宿
美しい遊歩道。近隣住民の重要な生活ルートにもなっています。
小学生の手書きの絵が入ったタイルが楽しい。
緑道の脇に残った、かつての水路の痕跡。
実は整備される前の烏山川は、うねうねと蛇行していました。
その名残を見つけるのもちょっとしたお楽しみ。
そして緑道の隠れキャラたちを探すのも。
北沢川と合流
ここから先は目黒川と名前が変わります。
烏山川は、とにかくダイナミックな川である。 きれいなところはメチャきれい。汚いところはメチャ汚い。
環八の横で堂々と不精な姿を晒しているかと思えば、二日酔いみたいに裏道をひっそり流れていたりする。
「ばかやろう、環八のほうが後からできたんでい」 大声で怒るんだが、どうも本気で怒っているわけではないようである。
農業用水や生活用水として人々を支えた一方、雨が降れば増水して暴れたり 工場廃水の毒で魚が死んだりと、烏山川は意外な過去を持っていたりもする。
「俺も若かったんだよ、あん頃はサ」
今は静かに公園となり 穏やかな余生を送っている烏山川は、かつては荒くれ者だったのだ。
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