玉川上水の由来

今から、300年以上昔、徳川四代将軍は、江戸の水不足を補うために多摩川から水を引くことを計画しました。

そこで、松平伊豆守信綱の家臣安松金右衛門の技術指導を受けた玉川兄弟によって、羽村から四谷大木戸まで武蔵野が掘り割られ、江戸八百八町に水を供給する水路が渠造されました。これが玉川上水です。防水用水としても使われていたということです。

現在では、その下流はほとんど埋め立てられ、世田谷区内を通る約950mの区間も上部が緑の散歩道として生まれ変わっています。

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